私の顎に異変が起きたのは、30代半ば、仕事のストレスがピークに達していた頃でした。最初は、食事の際に時々、右の顎が「カクッ」と鳴る程度の、気にも留めないような些細な症状でした。しかし、数週間が経つうちに、その音は「ゴリッ」という鈍い音に変わり、次第に口を開けること自体に、わずかな痛みと抵抗を感じるようになりました。それでも私は「疲れが溜まっているだけだろう」と高をくくり、だましだまし生活を続けていました。決定的な出来事が起きたのは、ある月曜日の朝です。いつものように朝食のパンにかぶりつこうとした瞬間、顎にロックがかかったように、口が指2本分ほどしか開かなくなったのです。無理に開けようとすると、耳の奥に激痛が走り、冷や汗が出ました。パニックになった私は、まず耳の痛みから「中耳炎かもしれない」と考え、近所の耳鼻咽喉科に駆け込みました。しかし、耳の中を診てもらった結果は「異常なし」。医師からは「顎関節症の可能性が高いから、口腔外科に行ってみては」と勧められました。口腔外科という言葉に馴染みがなかった私は、不安な気持ちで大学病院の口腔外科を予約しました。初診の日、専門医は私の話をじっくりと聞いた後、レントゲン撮影と触診を行いました。そして、顎の動きを慎重に確認しながら、「典型的な顎関節症ですね。ストレスによる夜間の歯ぎしりや食いしばりで、顎の筋肉が異常に緊張し、関節円板というクッションがずれてしまっている状態です」と診断を下しました。治療は、まず夜間に装着するマウスピース(スプリント)の作製から始まりました。そして、顎周りの筋肉をほぐすマッサージや、開口訓練といった理学療法、さらには日常生活での注意点(硬いものを避ける、頬杖をつかないなど)について、丁寧な指導を受けました。治療には数ヶ月を要しましたが、徐々に口は開くようになり、痛みも和らいでいきました。あの時、口が開かなくなった恐怖は忘れられません。そして、顎の痛みを安易に考えず、正しい専門科を受診することの重要性を、身をもって学んだ貴重な経験となりました。