私が自分の体の異変に最初に気づいたのは、四十五歳の誕生日を迎えた直後のことでした。お風呂上がりに、ふと胸元を見ると、赤いインクを垂らしたような、小さな点が二つ、三つできているのです。痛みもかゆみもなく、最初はあまり気に留めていませんでした。しかし、その赤い点々は、数ヶ月の間に、少しずつ数を増やしていきました。よく見ると、中心から細い血管が伸びていて、まるで小さなクモのようです。インターネットで検索してみると、「クモ状血管腫」という言葉とともに、「肝機能低下」という、不穏なキーワードが目に飛び込んできました。そういえば、最近、体が異常にだるい。長年の付き合いである毎晩の晩酌も、翌朝にひどく残るようになった。思い当たる節は、いくつもありました。会社の健康診断では、ここ数年、ずっと「γ-GTP高値、要経過観察」の判定。それでも、「酒飲みはみんなこんなものだ」と、私は真剣に受け止めていなかったのです。この胸の赤い点々は、私の体が発している、最後の警告かもしれない。そう感じた私は、重い腰を上げ、消化器内科のクリニックを予約しました。診察室で、これまでの経緯と、胸の赤い斑点について話すと、医師は厳しい表情で、腹部のエコー検査と血液検査を指示しました。後日、検査結果を聞きに行った私に告げられた診断は、「アルコール性肝硬変、初期段階」という、あまりにも重いものでした。私の肝臓は、長年のアルコール摂取によって、すでに硬くなり始めていたのです。胸の赤い点々(クモ状血管腫)も、手のひらの赤み(手掌紅斑)も、すべては肝臓が悲鳴を上げていたサインでした。その日から、私の生活は一変しました。医師から、絶対的な「禁酒」を言い渡され、塩分を控えたバランスの良い食事を指導されました。幸い、初期段階での発見だったため、適切な治療と生活改善によって、病気の進行を食い止めることができています。今でも、時々、胸の赤い点々を見つめます。これは、私があの時、人生の軌道修正をするきっかけをくれた、大切な「お守り」のようなものなのです。
私の胸の赤い点々は肝硬変の始まりでした